再開『僕の細道』那須芦野から陸奥国藤原実方の墓へ
世の中がコロナ禍になり一年半途絶えていた『奥の細道』芭蕉句碑
巡り旅を相棒の可愛い曽良(トヨタRISE)やっと再開することができました。
今回の僕の細道スタートは5月21日6:30 那須芦野の遊行柳から
『田一枚 植えて立ち去る 柳かな』芭蕉翁
早乙女達が田植えを終えたので見物していた芭蕉もその場から
立ち去ったのか?それとも、芭蕉も田植えを手伝って去って行った
のだろうか?遊行柳はそれを一部始終見ていたのでしょう。
泉田の一里塚跡(45里)
遊行柳を発って二つ目の一里塚跡、那須町には三つの
一里塚跡が在る言う(夫婦石・板屋・泉田の一里塚跡)
白河関
奥州三古関のひとつで平安時代の頃から機能していて
白河関、鼠ヶ関、勿来関は交通や軍事などの要衝だった。
曽良の句で(卯の花を かざしに関の 晴れ着かな)
※昔、ある高貴な人がこの関所の前まで来て衣装を替えて通過したそうだが
我々古人に思いをはせ、せめて晴れ着はないが頭の上に卯の花をかざして
敬意を表わそう
庄司戻しの桜
信夫庄司(飯坂地区の別名)の城主が二人の息子を此処で義経への忠義を
説き見送り桜の杖を地に突き立てて帰りその後、兄弟は討死するが後に
杖が大樹になったと言う伝えで霊桜碑である。
可伸庵跡 『隠れ家や 目にたたぬ花を 軒の栗』芭蕉翁
須賀川の俳人鈴木清風が自宅の一角に僧侶(世捨て人)である可伸を
住まわせていてその可伸に芭蕉は会いに行きその時の句である。
※地味で目立たない栗の花をこの家の主人はそんな栗の木をこんな近くに
植えて隠れ住んでいるんだ。
十念寺 『風流や 初めや奥の 田植え歌』芭蕉翁
※白河関を越え、ここえ来る道すがら、鄙びた陸奥の
田植え歌を聞いた。是こそ我が旅の風流の初めである。
文知摺石(石の上に絹を置き文様を利用した染色法)
文知摺観音 『早苗とる 手もとや昔 信夫摺』芭蕉翁
※信夫の地で早苗を取る早乙女の手元が昔行われていた
染色法で忍ぶ摺の所作が偲ばれる。
医王寺 『笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟』芭蕉翁
※端午の節句の季節。寺宝に義経の太刀と弁慶の
笈を持つこの寺ではこれを紙幟とともに飾ればいい。
飯坂温泉共同浴場『鯖湖湯』
芭蕉もこの湯に浸かり旅の疲れを癒したのであろう。
寅も浸かりましたが2分と浸かってられない湯の温度
何回も何回も入ったり出たりの繰り返しで久しぶりの
熱湯だがとても気持ち良かった。
あやかって一句(風流の 初め飯坂 鯖湖の湯)濱の寅次郎・[m(_ _)m]
武隈の松(二木の松) 『桜より 松は二木を 三月越し』芭蕉翁
※桜の咲いた3月に旅に出て楽しみにしていた二木の松を
三月越して見たところ根元から二つに別れた立派な松だな。
実方の墓 『笠島は いづこ五月の ぬかる道』芭蕉翁
三十六歌仙の一人、藤原実方は光源氏のモデルで
陸奥守に左遷されこの笠島の地で不慮の死にあった。
※墓のある笠島はどの辺りだろう五月雨が降る中、
ぬかるんだ道なので行くことができないよ。
19:00前、今日はここまでと、言うことで
『笠島で 陽が暮れここで 宿を取る』濱の寅次郎・・[m(_ _)m]
こんばんは、お久し振りです*寅ちゃん殿
僕の(奥の)細道はちと老いの身には遠くになりにけり(^^)/
by 侘び助 (2022-05-29 20:47)
侘助さん、おはようございます。
お久しぶりです。最近の寅、パソコンは近きにありて遠きものです。
奥の細道2700㌔と言われる道程です歩きは到底無理なんで愛車(曽良)との旅です。曽良が居ないと出来ないんで助かってます。
by お名前(必須) (2022-05-31 08:07)