勝沼から韮崎
12月14日(土) 気持ちの良い快晴
我が家を5:00に出て8:00過ぎ此処は勝沼ぶどう郷駅 何故に駅がと、
思うくらい周りがぶどう畑
駅を出たら正面に見える赤石山脈?は雪景色、甲州街道までタクシーを利用
文政の常夜燈、思わず見過ごすところでした。
旧甲州街道に入ると土手を通るが柴又の荒川土手を思い浮かぶ
笛吹権三郎、石和川の氾濫で母を亡くした権三郎が母を探しながら母の好きな曲を吹き
ながら探すが権三郎も川に落ち命を落とし後に川から笛の鳴る音が聞こえてきたそうです。
それから石和川を笛吹川と呼ぶようになったとさ。
鵜飼山遠妙寺
石和宿本陣跡
甲府柳町宿本陣跡、GSの向かいに在ったらしいが表記するものが見当たらない。
夫婦サイカチ、湿地に生えてる木だそうです。樹齢は300年 両樹とも雌木と表記あり
竜王新町下宿道祖神場 村の協議集会の寄り合い場
赤坂供養塔 坂道を振り返れば富士山が見えます。
武田勝頼が岩殿城へ逃げる際、新府韮崎城に火を放ち北条夫人が燃え上がる城を見て
涙したという。
芭蕉句碑、『昼みれば 首すじ赤き 蛍かな』 蛍の名所だった所、六反川(金川)
韮崎駅前、勾配のある所でもないのに今日は膝から腰にかけてのダメージが感じます。
本日の目標、韮崎まではここで終了です。
下諏訪が段々近くなるので気持ちが諏訪諏訪いや、ソワソワしてます。
笹子駅~勝沼
11月17日(日) 前日に続き好天
7:40笹子駅をスタート今日もやる気満々で勝沼まで向かいます。
駅前の国道20号線スタートしてから30~40分ほどで左の旧道へ入ります。
唯一の名所『矢立の杉』出陣前の武者がこの大杉に矢を射立て武運を祈る習慣があったという。
笹子隧道、
隧道を抜けると左の斜面を行く峠道の案内板だが険し過ぎて無理なので日影笹子線を行く
事にします。
振り向くとなんと峠越えの道が有り大失態です。何も考えずトンネルを抜けて来ました。
甘酒茶屋跡、お昼時我慢して下って行く。
駒飼宿、一寸一服を遅めの昼食です。朝コンビニに買ったおにぎりとサラダを注入です。
休憩もそこそこにしてさぁ歩こう!!
駒飼本陣跡
中央高速の下をくぐり抜けて行きます。
脇道にはニホンザルの群れ、甲州街道では初めて目にします。
柏尾古戦場跡に近藤勇像、どうやら鵜瀬宿を素通り旧跡を見落として来たようだ。
本陣槍掛の松、大名や公家が泊っている時に槍をこの松に立て掛けていたそうです。
本日はここまでで終了です。
薄暗くて長い峠越えは一人で歩くには寂しくて辛い だから、早足になり見落としが
多くとても残念でした。甲州街道では後甲斐(後悔)しきりです。
次に備え下調べに万全を尽くします。
鳥沢宿~笹子駅
11月16日(土) 天気は上乗、昨日に引き続き気合を入れて歩きます。
鳥沢駅を出て猿橋へと向かいます。
猿橋、日本三奇橋の一つとされ橋は以前から有り1756年に現在の奇橋に架け替えた!!
猿橋の袂に大黒屋という食堂があるが以前は旅館で国定忠治が滞在していた事で店の名物
『忠治そば』が売り物でまた、世界の日立製作所を創業するに二人の技術者が打ち合わせ
を行った旅館だったと立て看板に書いてありました。
岩殿城跡は関東三名城の一つ武田氏二十四将の一人小山田信有の古城
右側の街燈真上地肌の見えてる処が城跡。
下花咲一里塚 江戸から二十四番目の一里塚
大月宿本陣、本陣1軒に脇本陣が2軒 旅籠が2軒の小さな宿場町
法雲寺橋は台風19号で橋が崩壊して二か月間通行止めでした。
白野宿入口に庚申塚
白野宿の街並み
笹一酒造、中央高速を利用する度に気になっていたんです。
1661年花田屋として創業し後に、1919年『笹一』と改名
『笹』はお酒 『一』は日本一と言う意味で名付けられたそうです。
現在は大量生産方式を全廃して麹作り、酒母工程を手作りに戻したそうです。
358年にも成る歴史が凄い!!
『笹子餅』を見て何故か越後の笹団子がイメージとして浮かぶが・・・
屋号『みどりや』さん、こじんまりとしたお店で10個入り1000円を購入して
笹子駅で電車待ちの間に10個完食!!
馬かった、牛まけた。大石かった、吉良まけた。なんじゃそれ ってか。
笹子駅、笹子餅を買って数分の所で良かった。
上鳥沢宿、猿橋宿、駒橋宿、大月宿、下花咲、上花咲宿、下初狩、中初狩宿、
白野宿、阿弥陀街道宿と数多くの宿場を一日にして通り抜けましたが20キロ
程の道のりですが、昨日の疲れも有り老体には堪えます。お風呂に入りたいので
只今16:00今日はこれまで ホテルに泊まりたいがこの駅から直帰します。
また、あ・し・た
相模湖駅前~鳥沢宿
あれから165日、人生色んな事が有りました。例えば、婆婆ぁ~も参加の爺(自治)会の会議や行事、
予定日の悪天候、友達との旅行、それに97歳の母親が突然あの世に旅立ち世話しない日々が続いて
やっと街道歩き旅の時間が取れました。
晴天の11月15日(金) 相模湖駅前8:00 スタート
興瀬神社(ともせじんじゃ)与瀬の人は権現様と呼び 日本武尊が祀られている神社。
明治天皇小休所址碑の奥には与瀬本陣跡があります。
此処の地名は椚戸『くぐと』と寅の脳味噌では読めなかったなぁ~
吉野宿高札場跡
20号線に入ると吉野本陣跡 向かいには『ふじや』当時は藤屋という旅籠で高遠藩や
諏訪藩、高島藩などの参勤交代で常宿として栄えた歴史ある旅館のようです。
関野宿本陣跡、時代劇でお馴染み長谷川伸の『関の弥太っぺ』が舞台となった所
諏訪関跡・境川番所とも言い物資や人の取り締まり、それに徴税が役目のようです。
是より鶴川宿碑、小さな宿場町なのだが川留めがある為、旅籠が8軒も有ったようです。
吉野宿や関野宿などは旅籠は3軒、それに比べれば8軒は多い。
大椚一里塚跡は19番目
長峰砦跡は東側の相模国北条氏からの侵略を防御する為に設けた砦
野田尻宿本陣跡 江戸を出発して20番目の宿場です。
犬目兵助の墓 犬目村の兵助・竹七という農民が一揆を起こし騒動は国中に広まり
甲州一揆の首謀者、竹七は獄中死、兵助は逃げ切って維新後には水越と改名したという。
犬目宿碑 峠の小さな宿場町で富士山が見え景色が良く旅籠が15軒も在ったという。
恋塚一里塚跡は日本橋から21番目、
坂道を下ってると其処にひとが居るかのように見えました。
人っ子一人で会わない長い道程にこの場所に小休止、話しかけたい気持ちになります。
鳥沢駅 本日はこれまで・・・鳥沢宿は下と上が有り21番目の鳥沢下宿
久しぶりの歩きで与瀬宿から鳥沢宿、この街道アップダウンが多くて疲れました。
体調を明日に備えます。