No-8 箱根西坂を三島広小路まで
新年あけましておめでとうございます。
平成30年 初めての記事が昨年の事になり申し訳ございません。
10月11日
今朝も東海道線一番の沼津行きに乗り小田原へここからバスで関所まで
観光地の早朝、人は少ないがほとんどが外国人そんな中 8:35スタート
関所前を三島に向かい右に曲がれば駅伝のGOAL&START
真っ直ぐ200mほど進み旧道に入ります。
駒形神社を過ぎてまた、薄暗い道へと入り箱根峠に向かうと
芦川の石仏
芦川の石仏
石仏を見てから幾つもの坂の連続で最後の上り坂が『峡石坂』
1号線に出て右へ峠の頂上へと向かう
峠から冠木門に石畳そして峠のユーモラスな地蔵達には
著名人の言葉が書き添えています。
著名人の言葉が書き添えています。
最初の下り坂には『是より江戸へ二十五里』と石柱に
なだらかな易しい坂『篠竹のトンネル』
豊臣秀吉が兜を置いた言われる『兜石』
坂は山中城址へと向かうが何処かで間違ったような錯覚におちる
まるで個人宅の庭に入り込んだかのように想う道です。
庭先を通り過ぎて国道を横切り旧道に
小枯木坂を下って山中城址を前にすると『雲助徳利の墓』
西国大名の剣術指南役の人物で松谷久四郎とか・・・
秀吉の小田原攻めで一日と持ち堪えられずに落城
途中、旧道が工事の為、1号線を歩くと芭蕉句碑
寅の脚に異変を感じたのが急勾配の『こわめし坂』で
サイズ26㎝の足が26㎝も前に出すことが出来ずすり足でこの坂を下る。
本日初めて見る富士山
箱根峠を下って初めての松並木
途中、幾つかの坂を経てやっと辿り着いた三島宿
鳥居の下から正面の三嶋大社
広小路駅に隣接の連馨寺には芭蕉の墓が・・・そんな???
昨年、大津へ行った時、芭蕉の墓があったのに何でだろ~う なんでだろ~う
日本橋から歩き始め此処で味わった艱難辛苦ならぬ膝難絶苦
三嶋大社境内で途中、お米屋さんで買ったおにぎりと団子の昼食が13:30
沼津喰わずで行くつもりが三島広小路駅前で15:20 もう限界
箱根西坂、坂も多かったが見所も多く紹介しきれず残念です。
No-7 箱根東坂
10月6日 箱根東坂入口を8:30スタートに合わせるために今朝は5:30の早起き
三枚橋からスタートするが坂が意外と急坂でそんな所、
最初に現れる見所が早雲寺、この門の奥には北条氏5代が
眠るお墓があります。
眠るお墓があります。
正眼寺境内には芭蕉の句、供養塔の曽我堂がある
旧道への始まりで谷へと下りて行きます。
なかなか良く敷かれていますが・・・・。
あっという間の谷越え東海道に戻る
鎖雲寺、この寺にも仇討ちに成就した飯沼勝五郎・初花が眠っているとか
女転がし坂
割石坂
大澤坂
やっと畑宿に入り茗荷屋本陣跡
畑宿一里塚が有り雰囲気が最高!!江戸より二十三里
西海子坂
橿木坂、坂と言っても階段である
見晴らし茶屋を過ぎて甘酒茶屋への坂が『猿滑り坂』と
『追込み坂』がある。
甘酒茶屋で昼食を田楽とお餅、勿論甘酒も
つい食べる前に撮るのを忘れてしまう。この後茶屋の裏に
旧道が有りこの先3つほど坂を超えて芦ノ湖に向かって下って行く
これぞ箱根杉並木現れ気分上昇
鳥居の向こうには賽の河原が・・・何んとも不気味
関所に近いこの道が一番歩きやすい道である
13:30 無事、目的地の関所に到着です。思ってたよりも早く到着です。
薄暗い旧道は何故か早足になってしまう寅でした。
帰りはバスで湯本まで何んと外国の人達で満員です。
駅も外国の人達で混雑してました。
西の伏見に東の箱根 ってことですかね・・・?
次回は箱根西坂を歩きます。
No-6 二宮~箱根路
10月4日〈曇り〉
今日もまた、8:30 JR二宮駅前をスタート
相州は曇り空、歩くにはいいかもしれない
短い距離ですが旧道に入ります
道祖神が並ぶ所で東海道に戻る
道祖神から少し歩いて旧道に入る
一里塚跡、江戸より十八里
本陣跡
道祖神の横には茶屋跡も有った押切坂
坂を下ると東海道に出てやっと海を見る事ができました
国府津駅前を過ぎれば親鸞聖人の草庵跡碑
やっと相州小田原宿入口の酒匂川を渡る
川を渡ると街道から近くに新田義貞の首塚が・・・?
江戸口見附跡と一里塚跡の石柱
旧道に入るとそこはかまぼこ通り
相州に来て初めて目にしたような気がする小田原提灯
清水本陣跡
親方、円斎と名乗るも外郎家は本日定休日でした。
箱根路の文字、この辺りは秀吉が小田原攻めの合戦場
箱根湯本駅手前の三枚橋、駅伝の道とは違い東坂への入口
今回の旅はここで終りにします。正面に見える湯本駅のホームここから我が家に戻ります。
茅ヶ崎一里塚から平塚宿、大磯宿へ
9月29日 8:30茅ヶ崎一里塚をスタート
前回は辻堂でまさかのバッテリー切れで茅ヶ崎駅に近い一里塚で断念
今回からは充電器を持っての歩き旅、安心感でホッとする。
前回のバッテリー切れで撮れなかった 街道から富士山を左に見る南湖の左富士碑
茅ヶ崎一里塚跡
頼朝が亡霊に魘され慰める 関東大震災で突如水田に現れた
為に鶴嶺八幡宮参道入口烏橋 相模川の橋脚との事でした。
の袂に弁慶塚を造設
馬入一里塚は江戸から15番目の 平塚宿江戸見附跡
一里塚だそうです
高札場跡碑 問屋場跡碑
大磯宿江戸方見附跡 日本三大俳諧道場の『鴫立庵』
大磯宿高札場跡 大磯宿松並木
伊藤博文の別邸『滄浪閣』 国府津の一里塚、江戸から十七里
塩が製造されていたと言う1号線 この先にはJR二宮駅、今回の終着駅
塩海橋、塩海(しぼみ)の名残り
大磯は新島襄の終焉の地、島崎藤村や吉田茂邸なども有り意外に見所が多い
茅ヶ崎駅前一里塚から平塚宿と大磯宿を歩き二宮まで途中雨に降られるも
大したことも無く約16キロまだまだ歩けたかな?って気もする。
大したことも無く約16キロまだまだ歩けたかな?って気もする。
No-04 戸塚駅~藤沢宿を経て茅ヶ崎へ
9月27日 何時もの時間で8:30 戸塚駅歩道橋からスタートです。
歩道橋渡った駅前は西口で清源院が在り家康の側室『於万の方』のお墓が
本陣跡に明治天皇行在所の碑も 戸塚の氏神様八坂神社
芭蕉句碑『鎌倉を・・・初がつお』 鎌倉時代創建、富岡八幡宮
上方口見附跡、ここから坂道に 難所だったかも?大坂途中に庚申塔が
松並木? 面影全然なし 浄瑠璃のモデル、お軽勘平の墓
戸塚から藤沢へ入る松並木碑 松並木の先に遊行寺坂、近くに一里塚も
遊行寺門前 境内の大銀杏は700年も生き続けている
門前に交流館、とても嬉しいです。高札場が大きく再現されていてとても良いです。
裏を流れる引地川に義経の首が流れ 辻堂一里塚が有り茅ヶ崎松並木が始まる
着いたという『首洗い井戸』
大失態です。スマホのバッテリー切れで是より先、茅ヶ崎駅まで歩き断念しました。
次回からは充電器を持って歩く事にします。
次回からは充電器を持って歩く事にします。
No-03、青木橋~相模国に入る
9月20日 8:30スタート
青木橋から武蔵国保土ヶ谷宿を経て相模国戸塚宿へ
青木橋を渡って旧東海道へ入る 最初に向かえてくれたのが金比羅宮です。
この辺り直ぐ下は海で茶店や料亭が 有名な料亭『田中屋』
湊を見下ろす景勝地との看板 東の鶴見、西の神奈川台に設けた見附跡
外国人への殺傷事件が多かった為にとか・・
保土谷に入ると時代を感じる石蔵が この静かさ昼間の松原商店街とは別世界。
商店街を抜けて江戸方見附跡 天王町駅前の帷子橋跡
4基の道標は珍しいかも? 1号線に出ると本陣や脇本陣が並ぶ
復元された一里塚と見附跡 旧権太坂、駅伝で走る坂とは違う。
坂を上り切ると境木地蔵堂 戸塚に向かう下り坂道を焼餅坂という
相模国に入っての一里塚 宿場入口不動坂に有る益田家のモチノ木
ダイエー(現イオン)前の見附跡 戸塚駅大踏切は今、歩道橋に車道は地下に
不安定な空模様です。まだ、お昼過ぎだが駅に着いたことだし今日は此処までにして地下鉄で帰ります。
次回は歩道橋からのスタートとなります。
No-02蒲田~3次・神奈川宿へ
今日もまた、暑い日差しが迎えてくれました。
9月13日 AM8:30 京急蒲田駅前を出発
箱根駅伝の通る道を多摩川方行へ向います。
源頼朝が奥州平定後に六郷神社を建立したとか・・・。 六郷神社を過ぎれば直ぐ六郷橋で多摩川を渡ります。
橋を渡れば、ここは長十郎の発祥の地とか ここから川崎宿場に入ります。
川崎宿の案内図が設置して有り歩く者には有り難い。 面影に乏しい本陣跡が・・・。
助郷会所と書いてあるが、要するに人足集め処か? 旅人に優しい休憩所(交流館)です。
宗三寺には遊女(飯盛り女)の供養塔がある 問屋場の碑が何とも侘しい
新川掘りに架かる小土呂橋親柱だが堀が無い 芭蕉が弟子たちとの惜別の句だそうです
日本橋から5番目の一里塚のようです 外国人の安全の為に行った見附
生麦事件現場、民家の塀に案内板 現場から数百Mの所に供養塔
歩道に神奈川宿の絵図が描かれています。 面影残す松並木周辺の寺などに外国人の住居
これほど大きい高札場は嬉しい。 滝ノ川を挟んで東に神奈川本陣、西に青木本陣跡
この商店街を抜ければ目指す青木橋 橋の下には京急神奈川駅がある
蒲田駅前から約15㌔ 今日は此処までと言う事にして電車に乗って帰ります。
後日、青木橋から歩きます。
濱の寅、旧東海道を京へ向かう!! No1江戸を発つ
度々、途絶える寅のブログ、4ヵ月ぶりの再開ですが何処まで続くかは
知れませんが頑張ってみます。
9月9日 苦(9)が重なる日がスタートでした。
日本橋には日本国道路元標や魚市場発祥地などの石標を見てPM9:00
京の都へと発ちました。
井筒屋の井戸の跡(左)に安藤広重住居跡(右)が日本橋から直ぐの所。
工事現場の壁に広重住居跡の説明板が何とも侘しい。
(左)京橋親柱ですが想像し難い (右)江戸歌舞伎発祥の地で1624年だそうです。
芝口御門は建設後15年で焼失とある。 銀貨鋳造で銀座発祥の地
銀座の柳歌碑には西条八十,中山晋平の名 (右)新橋親柱
街道から逸れて増上寺までは遠い 江戸無血開城を行うも戊辰戦争が悲しい
江戸城下への入口で高輪大木戸跡。 赤穂浪士が眠る泉岳寺
品川宿に入ると問答河岸を始め鈴ヶ森まで見所が多く楽しい
処刑場跡に着いた時には何とも言えぬ不気味な感じがした。
その後、国道15号線を磐井神社、梅屋敷跡の公園と通過し京急蒲田駅に
PM3:20到着で今日はこれまで。
歩くのが嫌いな寅、今回はよく歩いたもんだ。
ただ、増上寺への寄り道がちょっときつかったかな?
次回は京急蒲田駅から・・・歩き旅
女城主岩村城下
犬山のホテルを8:30にチェックアウトして岩村城下へ向かいます。
途中、農産物直売所2か所に寄り野菜や雑穀などを購入して城下に
着いたのが10:30を廻っていました。
この岩村醸造さん入口から奥へ長いレールが敷かれています。
無料開放されてる土佐屋
地元の信用金庫、希望として灯籠だけでも両替商とかに・・・
ご当地名物かスイーツ?
いいね!昔の町並みにはこういう高札場跡や木戸口が無いとね
この先はお店が無く雰囲気だけなので車で城跡に向かいます
車は天守閣の石垣迄行けます
城跡の直ぐ横にあります
城跡からの眺望は望めませんが多分中津川方面だと思いますが
この方向だけが・・・
この後、長篠城祉にも寄って浜松いなさから帰路に
大河ドラマで取り上げられた井伊谷城直虎ですが、寅にとっては
岩村城、信長の叔母でありながら信長に人生を振り回された直姫
のドラマの方が、だったらと、思いながらのプチ旅行でした。
尚、歴史にはちっとも興味が無い女房の為に7ヶ所の道の駅と3ヶ所の
直売所に寄り道をした農産物直売所巡りの旅でもありました。
モネの池~マチュピチュ~大垣,犬山,岩村城下
今年の春、吉野山と淡墨桜そして、モネの池を観に行こうと出掛けましたが
岐阜はあいにくの雨模様、満開の桜は観たけれど この雨で池は濁りがあると
聞いて諦め二人旅はコース変更、今回はそのリベンジです。
日曜日21:30我が家を出発、仮眠を取る東海環状鞍ヶ池saまで
3時間程の仮眠でGO
3時間程の仮眠でGO
モネの池、あじさい駐車場に6:30 既に5台の先客あり
ここでも仮眠を30分程取り目を覚ませば駐車場はほぼ満車!!
紫陽花はまだまだ、ですね。 おじさん曰く今日の池は少し濁っている って。
早いので蓮の花も鯉も活動はまだまだで10時,11時位が良い って。
それまで待てないので8:30頃次の目的地へ
岐阜のマチュピチュです 初見参
山の一角に茶畑が広がりマチュピチュ ビューへ行く路の脇に石碑などが
さざれ石の横に国歌の歌詞 老体は20分程の登山で意気消沈
吉野の二の舞を恐れてかA地点まで行けずB地点までだがとても良い景色です。
お茶のサービスを受けるもゆっくり出来ず大垣へと急ぐ
吉野の二の舞を恐れてかA地点まで行けずB地点までだがとても良い景色です。
お茶のサービスを受けるもゆっくり出来ず大垣へと急ぐ
大垣は芭蕉の奥の細道むすびの芭蕉(場所) 江戸は千住から東北、北陸と
よくも歩けたもんだと只々、感心するのみの寅です。
旅を終えた芭蕉が伊勢に向った船町湊だそうだ。
湊に隣接した芭蕉記念館入口でシャッターをパチリ
大垣城,西軍石田三成の影薄い 記念館で水まんじゅう初体験、いいね!
次に向かうは国宝犬山城へ
16:30を過ぎてたので門の中へは入れず門の前から天守閣をパチリ
現存する天守閣はいいね! 街並は古い建物が減ってるようで残念!!
江戸時代の雰囲気が欲しい 住人が一本下駄で闊歩・・何者だ?
長くなりましたので今日はこれまで。続きは後日に
16:30を過ぎてたので門の中へは入れず門の前から天守閣をパチリ
現存する天守閣はいいね! 街並は古い建物が減ってるようで残念!!
江戸時代の雰囲気が欲しい 住人が一本下駄で闊歩・・何者だ?
長くなりましたので今日はこれまで。続きは後日に
この後は、城下のホテルに行って疲れを取ります。イヤ、正確には女房の疲れを取ります。