浜松宿~新居宿
5月12日
8:00前に宿を出て10分足らずの昨日最終地点へ戻りスタート
六所神社、ここからスタートです。
馬籠一里塚跡、外木戸跡などを経て浜松城へ
浜松城跡に足を踏み入れると天守閣の下に鷹狩りの家康像
出世城、家康にあやかりたいが時すでに遅し・・ですね。
鎧橋とは平安時代に比叡山の雑兵が鴨江寺を攻めた時、鴨江寺の軍兵が鎧を着てこの橋を守った
とのこと
二つ御堂、平泉の藤原秀衡建立の南堂と愛妾の北堂である
舞阪宿へ向かう見事な松並木である。
荒井と書いてある石碑だが日本橋から三条大橋までの石碑が並木の下に順番に置かれています。
地元の昔話の主人公で波を静める浪小僧までも鎮座する
江戸から68番目の舞阪一里塚跡
脇本陣跡
渡船場跡でこの辺は結構史跡が有っていいね!
今回の歩きで一番疲れた地点、弁天島駅で帰ろうかなと思うが体力振り絞り次の駅新居町駅まで歩く
この先は前を見ず下を見て歩いていたような気がする。
今回の珍事で浜松東警察署を通り越してナナコカードを拾い交番を探しながら歩くも見当たらず浜松城に
立ち寄った後に浜松駅前の交番へ届けることになりました。
普段よく見かける交番ですが捜すときには無いもんですね。
今回も浜松餃子を食べ損なう 悔し~~~
掛川宿~浜松宿
5月11日
新幹線の三島駅を過ぎた所で
駿河の国に入ってから初めて富士山が見える好天に恵まれましたが
もはや遠江国からの出発旅、富士山が見られないのが残念!!
掛川城下の大壁画前からのスタート
銀行の壁に『一豊とお千代』
廃城後に円万寺が買い取り 寺の山門に使用した『蕗の門』
19首塚は平将門がこの地で滅ぼされ供養されている
この日最初の一里塚で『大池一里塚跡』
田園の中に『岡津の松並木』初めて目にする風景かも? いいね!
久津部一里塚跡 くつべは江戸から60里
東海道どまん中小学校(市立袋井東小学校)
どまんな中茶屋には気さくな年配のご夫婦の方が管理していて色々と
楽しい話を伺えました。
ご主人曰く、東海道を歩いている人が一番多いのは神奈川県の人だそうです。
高札場跡このように再現されてると大変嬉しいです。
従是西 見附宿の道標の対面には処刑場跡
遠州鈴ヶ森処刑場跡 義賊日本左衛門(白波五人男)の石碑があります
旧見附学校は明治8年からだと言う
西木戸跡
川を渡るに安全な歩道の有る橋を選択 天竜川を渡る時には陽が傾き影が長く伸びていました。
街道から逸れディーラー通りの今宵の御宿は『ホテル・ルートイン』本日はこれまで
前回のブログUPから随分と時が経ちました。PCの故障から始まり引っ越しをしてあげく契約していた
Wi-Fiが使えないので別の所と契約し工事が先日(もっと前か)終わり、平常を取り戻した次第であります。
間宿菊川~掛川宿
3月17日 曇り
歴史ロマンの道へ『小夜の中山』
急坂への入口
『雲かかる さやの中山越えぬとは 都に告げよ 有明の月』
阿仏尼(鎌倉時代の女流歌人)
接待茶屋跡
佐夜鹿一里塚
広重の日坂宿 此処までに数多くの歌碑を目にします。
問屋場跡
無料で中を見学することができる旅籠
高札場跡
木戸口が川岸に設けて在る
掛川の城下に入り七曲り
山内一豊が現天守閣に築城の掛川城
河津桜が散り始めお城の堀には花筏も
この旅で初めて利用する新幹線、この先の行き帰りは新幹線に
今回の旅はこれまでとなります。
現在の小夜の中山は、ほぼ茶畑の中を歩いているが多くの歌碑
から観る小夜の中山は流石ロマンの道と言えよう。
23次島田宿~26次掛川宿
3月17日
7時起床、8時に朝食を済ませて8:30 ホテルの女将さんに
見送られてのスタートです。
この日最初の見所が当時を偲ばせる要所
大井川川越の入口
川合所、川を越すにはここで札を購入して渡るのですが
深さや川幅によって値段が変わるようです。
今日からイベントが始まるようです
大井川 橋の横には歩道橋が設けられている。
対岸の金谷宿渡し場跡
金谷宿本陣跡
JR金谷駅ホーム下の一里塚跡を裏駅に抜け急坂を登り
次に現れた石畳の金谷坂
峠に辿り着けば諏訪原城跡も在るが周囲はお茶畑
宿を出で大井川に向かうと先方の山に見えてた茶の文字が
峠からは目の前に!!周り一面茶畑で茶畑と言うが緑の畑
坂を下れば菊川、川底から菊の門をした石が出たので菊川と命名
菊川は間宿として栄えたようです。
この先が難所で『小夜の中山』と言って日坂宿へ行く峠越えが辛そうだ。
伊豆国から駿河国に入り遠州へと進み脚には酷道だが見所が多くとても楽しい
また、茶畑の中を歩くのがとても気分が良く歌の一つでも勿論、チャチャチャ
ただ、車が多く行き交う国道を歩いている時、現実に戻り気分は少しがっかり・・・
菊川から先、掛川宿までは後日改めてUP致します。
悲痛です。安物買いの銭失い
安価なノートパソコンのキーボードが
ついに反応しなくなりました。
岡部宿~島田宿
3月16日(金)?のち
今までの様に同じ時間の電車を乗り継いで焼津駅まで
焼津駅からバスで岡部支所前まで来てスタートが9:50
小雨が降ったり止んだりの中、雨具を持たず歩くことに
バス停岡部支所前の五智如来公園前
岡部の松並木
巌村領傍示杭 此処は以前は甲斐国の地だったのか?
旧道に入ると田中城下だ。
民家の脇にポツリと一里塚跡
須賀神社境内の大楠は樹齢500年と説明板に記されていた。
もう直ぐ藤枝宿に入り成田山や大慶寺の久遠の松や下・上本陣跡
正定寺の本願の松などが観ることができる。
秋葉常夜灯と志太一里塚碑
上青島一里塚跡、先程の一里塚からこれまでは見所が見当たらず
長い一里だった
刀匠顕彰碑、刀鍛冶の匠が地方に行き伝えたようです
街道一の鯛焼 の看板に釣られ入って2尾を食す・・納得
このお店は餡子だけの1アイテムだが予約のお客様が次から次へ
受け取りに入店していました。
街道から1kⅿ外れた木橋の蓬莱橋へ寄り道、長さ約900mの橋を
往復
ビジネスホテル1・2・3が本日の宿、此処まで歩くのが精一杯、
距離的に進んではいないが寄り道が辛かった。
明日は大井川を越え難所の小夜の中山越えが待っているので
早めの睡眠と思ってはいたが結局何時もと同じ時間に・・・(=_=)
18次-江尻宿~21次-岡部宿
2月3日
天神の湯から近い静鉄清水線柚木駅前旧東海道から9:00スタート
柚木駅駅前から出発 この辺り本陣脇本陣が
東御門と駿府城巽櫓 城内の徳川家康像
家康像の側に自身が植えた蜜柑の木 城内を出て安部川近くまで来ました。
唯一開店していたお店(11:00前) 何時もの『後から気が付く馬鹿の知恵』
正直者の川越人夫が居たらしい 水量も川越人夫も大井川よ って!
丸子宿に入る 江戸方見附跡
交流館かと思いきや民家でした 芭蕉の句で『梅若菜丸子の宿のとろろ汁』
この丸子宿一帯では表札よりも屋号を大きく書いた家が殆どのようで時代を
スリップしたかのようで旅の者にとっては何とも嬉しいです。
スリップしたかのようで旅の者にとっては何とも嬉しいです。
丁子屋さん藁葺きの修復工事? 宇津ノ谷峠への入口、宇津ノ谷集落
本日は昼食に掛ける時間が無く丁子屋さんより先のコンビニのイートイン
で昼食を摂り直ぐに出発する
で昼食を摂り直ぐに出発する
峠の地蔵堂跡 宇津ノ谷峠
峠を下り岡部宿、旅籠柏屋 岡部宿本陣跡
小野小町姿見の橋
今日は土曜日と逢ってか3組の旅人と出会い内1組は逆コースで藤枝から
安部川まで行くそうで後の2組には軽く追い越されてしまい岡部支所前
まで行くのが限界で今回の終点となりバスで藤枝駅に向かいました。
安部川まで行くそうで後の2組には軽く追い越されてしまい岡部支所前
まで行くのが限界で今回の終点となりバスで藤枝駅に向かいました。
No-11,奥津宿~江尻宿
平成30年 2月2日(金)
昨年の11月18日以来、2ヶ月半ぶりの東海道です。
横浜では雪がちらつく早朝、東海道線で興津駅まで来ました。
横浜では雪がちらつく早朝、東海道線で興津駅まで来ました。
本日、駅前を8:50スタートです。
雨の心配は無用です。 興津の地名の由来は宗像神社に関係するとか
興津本陣跡 清見寺山門、階段を上がるとビックリ!!
門と境内の間に東海道本線が走る
旧東海道名残の松並木 細井の松並木跡が何とも寂しい
河童伝説の稚児橋 この先、寄り道をして次郎長の生家へ
裏に川が有り物流の要所 梅陰寺には次郎長やお蝶,子分衆が眠る
写真が後先になりましたが次郎長の生家の川向こうにエスパルスドリームランド
の商業施設が有り食堂街寿司街道での昼食を取るが街道へ戻るに遠かったなぁ~
街道に戻り名物追分羊羹の老舗 都田吉兵衛供養塔が何故?
東海道本線と新幹線で消えた東海道を記念碑横の地下道を渡る
静鉄清水線柚木駅に近い『天神の湯』は本日の宿
このビルの4~5階がカプセルホテルになっていて清潔で感じが良い
受付の若い女性もとても愛想がよくフレンドリーな仕事してました。
初めてのカプセルホテル泊、結構イビキが聞こえて気になります。
寝たのが0時を過ぎていました。寅もイビキが大きいので2度目は無いかな?
今回は寄り道で時間を要し思っていたほどの距離を進む事が出来なかった。
No-11 薩唾峠越え
11月18日
充分に睡眠を摂って目を覚まし外を眺めれば昨日とは違い小雨が降って山には霧が蔽い
意気消沈、意気阻喪がついに寅の脳裏に遣ってきたのかなと・・・?
朝食を摂れば消え失せたようだ。心機一転、不撓不屈ってか 一寸オーバーかな
昨日の終了場所である由比駅前まで戻り雨の中9:00にスタート
アーケードを背にしてさあ出発 峠はまだまだ先です
中野沢2号橋 格子戸の古民家『小池邸』
沢が多く橋が多い宿場のようです。 峠に向ってつかの間の駿河湾
権現橋 由比一里塚跡この辺りには本陣脇本陣が並ぶ
膝に故障を抱えやっと登った峠 広重の富士山は望めず三保を眺める
峠越えで日本武尊も休憩だから 大井川は有名だが興津川の川越は知らなかった
沓掛という地名になったのかな
沓掛という地名になったのかな
興津川を渡り興津駅までは目と鼻の先、本日は半日の行程でしたが体調を考えて
終了場所とします。
街道一の難所と言われた薩埵峠でしたが寅には箱根の方が辛かったね。
『箱根八里は馬でも越すが,越すに越されぬ寅次郎』でした。
No-10 JR吉原駅前~16次由比宿
11月17日
JR吉原駅前をスタートしたのは8:30、山の方には濃い灰色の雲が広がっていました。
吉原駅前から少し歩くと東海道左富士の碑、短い距離だが確かに左に観る事が出来る
立派な馬頭観音です。 1180年、源平富士川の合戦跡『平家越碑』
吉原宿、東木戸跡 茶店から見た雪の富士山中腹に一羽の鶴が
舞っているように見えたとか
富士川渡船場跡碑 富士川橋川幅800Mの歩道を歩く
川を越えきつい坂を上ると岩淵本陣 岩淵一里塚は松でなく榎です。
この先の峠の手前で鎌倉から来たという3人組熟女が昼食休憩、話によると
同じ吉原駅前を9時前にスタートしたと言うが抜かされた覚えが有りません
同じ吉原駅前を9時前にスタートしたと言うが抜かされた覚えが有りません
何処かで間違えたんでしょうか? 寅たちの昼食は由比漁港で桜海老を( ^ω^)
山から下って蒲原に北条新三郎の墓 蒲原宿東木戸跡
長い階段の為、パスしました。
雪の降らない蒲原宿が何故? 高札場跡
商家,大政の大地震直後に建設 由比、大幅に遅れての通過です
本陣公園の向かいは幕府転覆の首謀者 見所の多い宿場を素通り漁港へ急ぐ
由井正雪の実家
閉店の30分前に到着,浜のかきあげ屋 止む無く本日のGOAL由比駅前
新メニュー 1000円を完食で気分
今回の予定は薩?峠を越え興津までのコースでしたが膝の故障も有りこの日、
目当ての昼食に在り付けたのが15:30、由比駅には17:00前、予約を取っていた
興津宿(駿河健康ランド)へは電車で向かうこととなり翌日に由比駅前からの
スタートに つ・か・れ・た
No-9 沼津~原~14次吉原宿へ
10月18日
やっとの思い、箱根路を越すことが出来この先は無謀な歩きをしないよう
心掛け参ります。
今朝も8:30に合わせスタートです。最初に立ち止まった千貫樋は関東大震災までは木樋
千貫樋から1~2分で秋葉常夜灯が 伏見一里塚は(宝池寺一里塚)と
街道を挟んで(玉井寺一里塚)の二つ 義経と頼朝が対面したという神社前を過ぎての松並木
現在の三島市と沼津市の境で黄瀬川 頼朝に見初められるも黄瀬川に身を・・亀鶴姫の碑
日本三大仇討ちの一つ平作爺さん 元々平作爺さんの茶店跡に平作地蔵が
ゆかりの地
玉を磨くための石で千数百年前とか 雰囲気が感じられる城下で川廓通りは
狩野川と城郭に挟まれた処
沼津藩領西側の藩境榜示 いつの間にか原宿に
原宿本陣跡 この木,何の木,気になる木で幹に人面模様が?
あの『田子の浦ゆうち出て見れば』 吉原宿を前に柏原本陣跡
富士は見えずでした。
増田平四郎石像 同じ所に一里塚も有り
この一里塚を発つとJR吉原駅は目と鼻の先で今回の終点となります。
今回のコース沼津市街地を過ぎてからは判り易い一本道で町の中心を街道が
敷かれていますが中々コンビニが見つけ難く沼津(飲まず)喰わずで一寸残念かな
敷かれていますが中々コンビニが見つけ難く沼津(飲まず)喰わずで一寸残念かな